母の日のカーネーションの起源や由来とは?

5月の第2日曜日が「母の日」なのはなぜ?

 

5月の第2日曜日は「母の日」です。日頃から家事や育児、お仕事など様々な場面で活躍しているお母さんに感謝の気持ちを表現する唯一の日です。

 

しかし、母の日が誕生したきっかけを知っている人は多くありません。今回は、母の日が誕生した秘話をご紹介したいと思います。

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母の日の始まりとは?

母の日の起源については諸説あり、1つが古代ローマの時代に神々の母として有名なリーアに感謝するために行われた春のお祭りではないかという説です。

 

2つめが17世紀のイギリスでイエス・キリストの復活を記念して行われる祭事、イースターが行われる40日前の日曜日を「マザーズ・サンデー」と称し、母親と共に過ごすために全ての出稼ぎ労働者を里帰りさせたという説です。

 

その中でも現在定説として言われているのが、1908年5月10日にアメリカであった1つの物語です。

 

1905年5月9日にミセス・ジャービスが亡くなりました。彼女を追悼するため、娘のアンナ・ジャービスが母の大好きだった白いカーネーションを参拝者に配りました。

 

その後、アンナは母に感謝の気持ちを表現する日を祝日にしようと考え、普及活動を行うようになりました。

 

1908年のある日、ジョン・ワナメーカーという百貨店が店先で母の日記念会というのを開催したのがきっかけとなり、多くの注目を集めました。

 

1910年には、ウエストバージニア州で世界で初めて「母の日」が祝日に認定されました。

 

1914年には、当時アメリカの大統領であったウィルソン氏が、5月の第2日曜日を「母の日」と憲法で定め、国民の祝日としました。その際、亡くなった母親には白いカーネーションを贈り、健在な母親には赤いカーネーションを贈るという風習が出来上がったのです。

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アンナがカーネーションを選んだ理由とは?

白いカーネーション

アンナの母親は社会活動家の1人です。夫が早く亡くなってしまい、戦争や病で8人の子供を亡くしながらも懸命に女手1つで2人の子供を育て上げた逞しい母親であり、募金活動や食品・公衆衛生の大切さを広めるための活動や女性の地位を向上させるなどといった運動を行っていたのがミセス・ジャービスという女性です。

 

そんなミセス・ジャービスの背を見て育ってきたアンナは、母親が亡くなった際、母への感謝の気持ちを込めて追悼者全員に生前ミセス・ジャービスが好きだった白いカーネーションを配ったそうです。

 

このカーネーションには、感謝の他に母の社会活動を記念するといった意味も込められていたと言います。

 

現在では、母の日には白いカーネーションではなく、赤いカーネーションが主流となっていますが、母の日にカーネーションを贈るようになったのは彼女が母に対する思いから始まったことだったのです。

 

日本に母の日が普及したのはいつ頃なのか?

母の日カーネーション

 

母の日が日本で行われるようになったのは、1913年の大正2年です。

 

キリスト教会や日曜学校などで「母の日」が始まったのをかわきりに、2年後の1915年に青山学院大学の教授であるアレキサンダー女史によって、多くの人々に母の日を紹介し、それがきっかけとなって、キリスト教の関係団体を中心に日本各地で母の日の認知を広めていったのです。

 

1931年の昭和6年になり、三后の1つ皇太后の生誕を祝う3月6日を母の日と定めました。その6年後の1937年、大手お菓子メーカーの森永製菓などが母の日の普及活動を開始し、日本全国に母の日が広まったことをきっかけに1947年に5月の第2日曜日を公式に「母の日」と制定しました。

 

日本で母の日が制定されてまだまだ歴史は浅いですが、今では日本をはじめ、世界各国で5月の第2日曜日はお母さんに感謝をする日として認知されています。

 

1人の女性が母親を慈しむ気持ちから始まった活動が、多くの人々の心を動かして誕生した母の日に、普段は恥ずかしくて言えないお母さんに対する感謝を伝えてみませんか?

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